車いすフェンシングとは

車いすフェンシングは、ユニフォームやマスクなどの用具や剣はオリンピックフェンシングと同じものを使用し、ルールや用語もほぼ同じです。一番の違いは「フレーム」と呼ばれる装置に車いすを固定し、上半身のみで競技を行う点です。常に相手と至近距離で突き合うその息詰まる攻防が競技の醍醐味です。1960年の第一回ローマパラリンピックからの正式競技種目で、ヨーロッパで特に盛んな障がい者スポーツの一つです。

車いすフェンシングのルール

車いすフェンシングには、剣や有効面の違いによって「フルーレ」、「エペ」、「サーブル」の3種目の競技があります。

フルーレ

フルーレは突きだけが許され、有効面は頭部と四肢を除いた胴体の両面です。剣は軽量で突きの有効力は約500g。500g以上の「突き」に対して剣先のセンサーが反応し得点となります。
※攻撃権あり

フルーレの有効面の図
フルーレの競技写真

エペ

エペは同じく突きだけが許され、有効面は上半身です。剣は手を守るために大きな鍔(つば)を持っており、突きの有効力は約750gです。無効面である下半身には絶縁のスカートを着用して誤審を防ぎます。有効面が広いため試合運びが慎重になり、決着に時間がかかることもあります。
※攻撃権なし

エペの有効面の図
エペの競技写真

サーブル

サーブルは突きだけでなく斬ることも許されます。有効面は腰より上の上半身全てです。斬ることが許されるため剣の鍔サイズは3種目の中で最も大きくなっています。
※攻撃権あり

サーブルの有効面の図
サーブルの競技写真

■攻撃権

フルーレとサーブルでは攻撃権があります。攻撃権とは「先に攻撃をしかけた選手が優先権を持つ」ということです。攻撃権を得た状態で攻撃を決めると得点になります。攻撃した相手の剣を払う(パラードと言います)ことで攻撃権は移ります。相打ちの場合、どちらに攻撃権があったかはレフェリーの判定に拠りますが、判定がつかない場合は無効となります。エペには攻撃権がなく、従って同時に突きが決まった場合は双方にポイントが入ります。

■個人戦と団体戦

個人戦
予選では3分間、5ポイント(突きが1回決まると1ポイント)先取で勝負が決まります。エリミナシオン・ディレクト(トーナメント、通常ベスト16以降)及び決勝戦は3分間1セットとして3セットが行われ、15ポイント先取方式で行われます。

団体戦
団体戦はフルーレかエペどちらか1種目で行われるのが普通です。1チームは3人+補欠1人。1試合は3分間、5ポイント先取で勝負が決まります。3対3の総当たり戦で、合計で45ポイント先取したチームが勝ちになります。

■クラス分け

カテゴリーA
腹筋があり、十分な座位バランスがある

カテゴリーB
腹筋がなく、座位バランスがない

カテゴリーC
頸椎の5番から7番までの損傷により肘から先の機能が失われ剣を手にバンデージで固定しないとフェンシングができない

■その他

車いすフェンシング特有のルールとして「競技中は車いすの座面からお尻を離してはいけない」「足はフットレストに常に置かれていなければいけない」などのルールもあります。

車いすフェンシングトリビア

日本の車いすフェンシングの歴史

日本で開催された1964年の東京パラリンピックに日本の車いすフェンシング選手が出場した記録はありますが、その後国内での競技者は存在しませんでした。1994年、京都市障害者スポーツセンターでスタートしたグループをもととして、1998年に日本車いすフェンシング協会が設立されました。国内での競技人口は少なく、選手達はヨーロッパ各国を中心に開催されている世界選手権やワールドカップ、アジアパラ(旧称フェスピック)などへの海外遠征で腕を磨いています。 2000年シドニー、2004年アテネ、2008年北京の各パラリンピックに代表選手を送り出したのち、しばらく活動が休眠状態でしたが、2015年、TOKYO 2020を目指して新たにNPO法人日本車いすフェンシング協会が発足。京都の常設練習場を拠点に活動を行なっていました。そして2022年3月、さらなる強化と普及を目的に「一般社団法人日本パラフェンシング協会」を東京に設立。車いすフェンシングの未来へ向けて新しい体制でスタートしました。

フェンシング用語はなぜフランス語?

フェンシングは中世の騎士たちによる実戦的な剣術から発祥していますが、19世紀には競技として欧州各地で競技として行われるようになりました。ルールを統一するために1913年フランス・パリに国際フェンシング連盟(FIE)が設立され、近代フェンシングが始まりました。その由来からフェンシング用語はフランス語です。

車いすフェンシングにかかせない「フレーム」

車いすフェンシングは、「フレーム」と呼ばれる装置に車いすを固定し、競技者の腕の長さに応じて対戦者間の距離を調節して、上半身のみで競技を行います。最初のフレームは1980年代にオランダで発明されましたが、最初のころのフレームは重すぎて使用が難しかったと言われています。その後イタリアでより軽量で使いやすいフレームが開発されました。車いすフェンシングの世界ではイタリアの存在感が大きいのですが、こうした用具開発に貢献したこともその理由とされています。

パラリンピックの起源

1948年7月28日ロンドンオリンピック開会式当日にイギリスのストーク・マン デビル病院(Stoke Mandeville Hospital)で行われた競技大会だとされています。この競技会は戦傷兵士のリハビリテーションとして「手術よりスポーツを」という理念で始められました。 1960年ローマオリンピックの開会式に併せて同病院で行われた競技会が第1回のパラリンピックと呼ばれています。

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